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施設長あいさつ

意思決定支援と最善の選択

施設長 山倉慎二

昨今、障害者の意思決定支援の在り方が重要な取り組みとして位置づけられています。障害者総合支援法に規定され、一昨年にはガイドラインも作成されました。障害者の意思を尊重した質の高いサービスが提供されることを目的としたものです。しかしながら重症心身障害児者のほとんどは自分の言葉すらなく、意思の決定や意思の確認が困難な方ばかりです。そこで自ら意思を決定することが困難な場合には、本人の意思確認を最大限に行うことを前提に、家族や事業者、成年後見人等の本人をよく知る関係者による「最善の利益」の検討がなされなければならないとされています。では、「最善の利益」とは何でしょうか。

「最善」を辞書で調べると「一番よいこと」「最も適切なこと」とありますが、そもそも人生に於いて「最善」などというものがあるのでしょうか。誰が何をもって最善などと判断するのでしょうか。自分の人生を振り返ってみても、その道は自分で選んできたにもかかわらず、「あの時ああすればよかったんじゃないか」とか、「あの選択は間違っていたんじゃないか」という後悔ばかりが目に付きます。自分の人生でさえ最善であったかどうかはわからないのに、いやむしろ最善であったとはとても思えないのに、他人の最善などを決めることなどが果たしてできるものなのでしょうか。

命に関わる場合はもっと深刻です。例えば、進行ガンの診断がなされたとき、抗がん剤治療などにより徹底的にガンと闘うのと、何も治療をせずに残された人生を天にまかせて過ごすのとでは、どちらが最善だと言えるでしょうか。抗がん剤治療が非常によく効いて何年も寿命が延びるかもしれません。しかしその反対に、積極的な治療を選んだがために強い副作用に苛まれ、苦しんだ末に短命で終わってしまうこともあります。治療をしなかった場合でも、さして苦しむこともなく、非常に穏やかな人生を送れる可能性があり、治療するよりもかえって長く生きることも十分考えられます。

どちらかの道を選ばなければならないわけですが、人生をやり直すことなどできない以上、選んだ道が良かったのかどうかは結果論でしかないのではないでしょうか。つまり、「最善」というのは、結果はどうであれ、その結果を全面的に受け入れて、「これが最善だったんだ」と自ら言い聞かせて信じ込む以外にはないのではないでしょうか。以前はそのように考えていたため私はこの「最善の利益」という言葉が単なるきれいごとを言っているだけのように聞こえ、あまり好きではありませんでした。

重症児者施設で働いていると、ときとして非常に重大な選択をしなければならない局面に遭遇することがあります。その都度、ご家族を中心として施設職員を交えた話し合いを持つことになりますが、必ずしも全員が納得できるような結論には至らないこともあります。しかしそこに集まって考える人たちに共通しているのは、皆それぞれにその方のことを思い、「善意」を持って真摯に考えるという姿勢です。そのような姿を何度か見ているうちに、「最善」の「善」はこの「善意」の「善」を意味しているのではないかと思うようになりました。

親や兄弟、医師や看護師、介護者など、その方に関わる「善意」をもった人たちが真摯に話し合い、考え抜いて導き出した答えの中には、きっと「最善」があります。「最善」とは結果に左右されることなく、その悩みぬく過程にあるのだと思います。そういう視点に立てば、結果にひるむことなく、胸を張ってその方の「最善の利益」を考えることができるでしょう。

そしてそこで選り抜かれた思いに向き合い、その方に精一杯寄り添いながら結果を受け止めていくことが「最善の利益」であり、意思決定支援として大切なことなのだと思います。

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